物を減らす

部屋に本が溜まってきたのでどうにか減らしたいと思い、今読んでいない本を本棚から引っ張り出した。だいたい3,40冊の高校生の時に読んでいた雑誌、参考書を袋に詰め込み、自転車でブックオフへ行った。会計で全部で700円です、といわれ意外と売れるもんだなと嬉しくなり、何か買おうと思って、ブックオフの向かいにあるビールの店頭販売へ行ってみた。クラフトビールを注文し、あたりを散歩しながら本屋の前まで来て、ベンチに腰掛ける。

家に帰ると、少しではあるがスペースに余裕のある部屋ができていた。本が好きで沢山買ってしまい気づいたら本棚から溢れている、ということがよくあるので、最近は本を適当に売っている。お金になれば嬉しいが、それよりも部屋から物が減っていくことの方が嬉しい。自分の性格上、周りに気を取られがちなので、部屋がシンプルになることで生活自体もシンプルになる。これは部屋に限ったことではない。今まで得たいろんな物を減らしていく、その心地よさに最近気づき始めている。

鉄道オタク

金曜日の夜10:30くらいの東海道線に乗ると、カメラを構えた人が電車のなかをうろうろしていらのが見えた。どうやら珍しい電車を撮る鉄道オタクらしい。肩から黒いカメラをぶら下げている。本当はホームや電車内でお目当ての電車を待ち伏せしてはいけない。いけないのだが、撮りたいものはしょうがない。本当はいけないのだが。そんなことを思っていると、目の前に男が現れた。グレーのパーカーにショルダーバック、靴は水色のクロックスの男である。彼はドアの前でぶつぶつと何かを喋っていた。通話しているのか?と思ったが、どうやら独り言のようだ。独り言を呟きながら、スマホで隣を通過する車両を撮影している。

目の前の男は次の駅で降りた。彼と私とで、そんなに年の差はないだろう。鉄道を撮ることのどこら辺がそこまで面白いのか。そして、何が挙動不審な彼を作り上げるのか。少し仰々しい言い方だが、そんな疑問を浮かべた。金曜の夜の電車には本当に色んな人がいる。そして彼のように、文字通り周りの目を気にせず、何かに没頭できることが少し羨ましい。

赤い公園

その夜のWBSの報道によると、コロナの影響で特に女性に関しては顕著らしいのだが、最近自ら命を絶ってしまう人が増えているらしい。人数のオーダーだけ見れば、東京のコロナの感染者と同じである。コロナとは別の理由で多くの人が亡くなっているという事実に驚いた。特に仕事や家族をはじめ、環境ががらりと変わった人に対し、移動の制限が相当堪えていたのかもしれない。自分も今年社会人になり、一人暮らしを始め、かなり環境が変化した。だから、コロナの前にいろいろ考えることがあり、しかも外に出られないような風潮で、確かにしんどい部分も多かった。今年の春から今まで、周りに言っても理解されないだろうと思って黙っていたら、目の前のテレビがテレワークで頑張ろうの風潮を作っていて、見なきゃいいのに何かに置いていかれるような不安を勝手に掻き立てられていた。

その夜の報道を見たとき、2つの意味で驚いた。1つはその人数の多さに、もう1つは不謹慎なのだが、数字を見たときの妙な安心感を覚える自分に、だった。なぜ安心したか。それはその報道が、いつものコロナによる被害(例えば「遊びに行けない」とか「店の経営が傾く」とか)ではなく、その先のマジでしんどい思いをしている人はどこにいるのか、という今までの違和感を払拭するものだったからだ。言い換えれば「人間しんどきゃ生きてられない」いうことを端的に数字で示したからである。

こんな文章を書いたきっかけは、赤い公園というバンドのメンバーの1人が亡くなったのを知ったからでもある。このバンドは自分に馴染みのある立川という町から出てきたバンドで、それもあって赤い公園の深夜ラジオなども聞いていた。時は経ってそのニュースを知り、また聞き始め、今は残業終わりにジャンキーという曲を聞きながら、傷つけてくれてサンキューと口ずさんでいる。この世に絶望するなんて、コロナが無くたって1つも不思議なことじゃない。ファンなんて、アーティストからすれば元からいないようなものだ。しかし、久しぶりに音楽を聴くたびに、それでもどこかで生きていて欲しかったと思う他ない。

カネコアヤノ

・枕を洗いにコインランドリーに行く。完了まで19分と出たので、その間にマクドナルドにお昼を買いにいく。毎回ビックマックセットだったので、今日はチキンフィレオにした。戻るとあと7分だったので、隣のセブンで待つことにした。雑誌コーナーのポパイ最新号のテーマは「週末の過ごし方」だった。いろんな有名人の過ごし方が書いてあったが、総じて読書と散歩だった。

・枕を回収して家に帰り、チキンフィレオを食べる。半分くらい食べたところで、不意にアメリカ映画が見たくなり、アマゾンプライムで「ホワイトハウス・ダウン」を見た。中学生の頃友達に「ここ最近で一番面白い映画」と言われたのを思い出した。今観ても面白い。大統領の吹き替えが、アニメ版宇宙兄弟のムッタの声と同じだった気がする。ということはパイレーツ・オブ・カリビアンジャック・スパロウとも同じだ。

・散歩では謎の義務感で本屋に行く。長いと午後イチに部屋を出て17時くらいに帰ってきている。平日の午後は会社だから、これだと午後3時間位を僕は全く自室で過ごしていない。これってどうなんだろう。理由は特にないが、午後はもう少し家にいた方がいいのではないか?

・前に友達と飲んだとき、稼いだお金の使い道の話になって、本、と答えたら、他には?と聞かれ思いつかなかった。正確には食費と移動費以外思いつかなかった。お金を使おうが使わまいがどっちでもいい。とはいえ、本以外に何かあってもいいだろうと思う。

・カネコアヤノの「祝日」にあるとおり祝日の予定を考えたが、おそらく本屋への散歩になる。今日は散歩を諦めテレビを見ている。何か頭のいいことを書こうとブログを立ち上げたのだが、コインランドリーとマックとコンビニに行ったことしか書けない。台風はどこに行ったのだろう。

就活、コミュニティ

金曜の午後に散歩していたら、中学の頃の友達の家の前まで来たので、久しぶりに会おうとインターホンを押した。待っていたら、せめて5分くらい前に連絡をくれ、とさっきまで寝ていたらしいパジャマ姿の友達が玄関から出てきた。結えるほど長かった髪の毛がばっさり切られているのを見て、やっぱり会うなら事前に連絡すればよかったと思った。その友達は大学院の研究でいつも船に乗って海に出ていたので、引っ越す前はなかなか会えなかった。だから、今回もなんだかんだ家にはいないだろうけど、家の前まで来ちゃったしとりあえず、でインターホンを押したのだが、さすがにコロナの影響で家にいるらしい。

お互い暇なので、近くの公園まで歩こうということになった。友達は今、研究をしつつ就活もしている、とのことだった。どんな仕事をしたいのと聞くと、化学系の業界だと答えた。研究のフィールドである海や水に関係する仕事に就きたくて、海を汚しているのは洗剤だ、となり、そういう業界を志望しているらしい。それを聞いて、考え方が半年前の自分にそっくりだと思った。僕の場合は、数学を勉強してたから数値シミュレーションを使っている仕事で、宇宙開発にも興味があるからメーカー系エンジニアと、そんなふうにどこぞのエントリーシートを見ながら志望動機を出現させたのである。そういえば、これは就活以前の話かも知れないが、その友達は海で、僕は宇宙で、なにか壮大なものに惹かれるのも似ている。

うまくいけば、秋頃に内定が出るそうだが、いずれにせよ彼は大学院卒のそれなりに有名な会社の会社員になるんだろう。どこに行っても朝起きて会社に行くのは変わらないし、大企業であればあるほど希望の部門には配属されにくくなるよ、などと入社4ヶ月目なりのアドバイスをしたが、今まさに渦中にいる彼にそんな正論をぶん投げてもしょうがない。就活話から、小中の頃の友達はどこそこの会社に行ったとか、そもそも昔の友達に全然会わなくなったとか、3年後、5年後の夢とか恋愛とか結婚とかはどうしようという話を繰り返して、気がついたら公園を通り過ぎ、街一周分を歩いて帰ってきていた。

突然だが、最近、漠然と人々はどう繋がるのか、どうやったらコミュニティが形成されるのか、公共空間とは何なのか、などといった問題に興味が出てきている。きっかけはさっきの友人の就活話もそうだし、家に帰ったら集中力が切れて、連休中も何もしない、というエンジニアの鏡のような会社の先輩がいることや、仕事中は仕事以外の話をしないあの社会人特有のコミニュケーションの希薄さからくるものかもしれない。自分の勉強してきたことが当たり前のように勝手に武器に変わって、就活で「勝たされてしまう」この希薄なサイクルの先で、どうやって我々は人間らしい生活を復元するコミュニティを見つけるのだろう。文字に起こすと23の人間が抱きそうなぼやんとした疑問であり本当に恥ずかしい。そしてまた懲りもせず壮大なことに惹かれ始めているのがよくわかる。

かもめブックス

当たり前のように都心に向かっていた頃にはなかった高揚とともに中央線を降りた。春から小田急線に揺られる毎日になり、コロナの影響もあって、1ヶ月ぶりの東京行きの快速となった。それまでほとんど東京の中だけを移動していた人間だったので、気に留めていなかったのだが、おそらく中央線は小田急線より車内が広い。東京はやはり人が多いから、その分広く作られているのだろうか。車内が広いとか、建物が綺麗というので、それに伴い、そこに住む人間も魅力的に見えてしまう。上京したいという気持ちはここからくるのかもしれない。

新宿、四ツ谷飯田橋と乗り継ぎ、母校を左に見ながら、神楽坂のかもめブックスという本屋まで歩く。この本屋の店内には、カフェや個展スペースがあるため、コーヒーを飲みながら買った本を読んだり、本を選びつつ絵画を鑑賞できる。そして、ここには「文芸」とか「新書」といったジャンル別の本棚がない。だから、とにかくふらふらと本の間を彷徨うことができる。panpanyaの新作の漫画を買い忘れたことを若干後悔しつつ、30分くらい見てから、店を出て、結局その後、新宿の紀伊國屋で千種創一の歌集を買った。個人的にはコードが載っているWEBデザイン系の本を探していたが、また別の機会にそれ専門の本屋へ行こうと思う。

自室はまだ仕事から帰ってくる場所という感じが抜けないので、土日は東京に帰る。ほんの2ヶ月前までいた場所なのになんだか離れた存在になるのが不思議だ。若いから、元気があるから、まだこれからだから、という歳を重ねた人の声を真に受け、新しいことを吸収しようとしているが、とはいえ、これまで何をやっていたかを確認することは、健康のために必要だと思って、意識的に家へ戻るようにしている。

振り返れば、これからの生活が、予想にほとんどなかったことばかりでできている、ということと、会社の上司のマネジメントほど屈強なものはない、ということを学んだ。だから現状はまあまあというか相当、うまくいっているほうなのではないのか、と勝手に思っている。あんまり期待しすぎもよくないのだが、なぜか期待を強いてくる人が多いので、何かに期待せざるを得ないのも良くないところだ。大学を出た後の学問とは、当たり前だと思うものが、いかに当たり前ではないかを学んでいく、ということになるんだろう。

メタいところ

昨日ひとつ上の先輩社員の一年間の研修発表があった。当然のことながら業務を経験したことがないために知らない専門用語ばかりで少し不安が残った。上司に成果を報告するのが目的だったので、用語を知っているのが前提の難しい話になるのは当たり前だったのだが、とはいえ新入社員も聞いているのを考慮してもう少し分かりやすく(というか1年前は確実に同じ新入社員だったのだからそこからまだ1年しか経っていないということを考慮して)発表すべきだったのだと思う。と思う、と書いたが仕事をまだしていないからそう思うのであって、仕事をし始めたら成果とか目標とかをすらすらしゃべるようになるのかと思うと一層今のこの直感を忘れたくないと感じる。

先輩社員の中にはこれだけコードを書いてこれだけバグがなくなりましたというのをグラフにしている人もいて、仕事熱心な人がいるんだなということが分かった。仕事には個人の能力を可視化するものがほとんど資格とかしかないから、そういうグラフは誰でも優秀さが分かって便利だ。実際に上司には受けが良かった(ように見えた)。成果報告会は同期が一直線に並んでどれくらい実力あるのか比較しているようにも見てとれたが、実際は会社にはいろんな部門があってそれぞれ技術も求められることも全然違う。例えば月ごとの書いたコード行数やバグ数、修正までにかかった時間で、部門を跨いで新入社員の頑張った頑張ってないを評価しようとすると、ざっくりいうと扱ってるプログラミング言語が新しいほうが書きやすいので、言語によって成績の良し悪しが左右されてしまいフェアじゃない。フェアじゃないというか横並びにするのが普通にナンセンスである。人間と飛行機を比べたらそりゃ飛行機の方が速い。だから性能が高い。実力がある。でもその実験にはあんまり意味がない。なぜなら速さという数値、絶対値だけで比べても実用性がないからである。だから実用性のない比較は必要ないのだが、そもそも比較されるのがあんまり好きじゃないので、比較するのがナンセンスだが、必要とはされるものに目を向けよう、そういう魂胆である。

当然、OSとかスクリプトとかハードウエアとかサーバも恐らくこのエンジニアの評価に影響してくる。とかいうことを考えていると再三降りかかる「エンジニアの実力」という言葉の意味を考えたくもなってくる。つまりその半分は本人の辛抱や努力で賄えるかもしれないが、もう半分はシステムそのものの話を言ってることになる。だから実力とか能力を上げろと言われたら直で機械をいじればいい。じゃあ機械をいじるってなんだよとかを考えるようになる。こういう枠組みそのものを考えるというようなオルタナティブな考えが大切なのではなかろうか。人間の限界を蔑ろにし、そこら辺を混同させて人間のやる気の矛先を向ける方向を間違えてはいけない。

それが言えるなら、逆に言えばどれだけ用語を暗記できているか、どれだけある時間内にあるプログラミング言語でコードを実装できるかで勝負するのではなく、そもそもどのシステムを使うのがいいのかチョイスするというメタいところで勝負するのもアリな気がしてくる。この業界はとかく能力とか実力が主義のように語られ、それらを可視化できる資格がそのひとつの指標になるのだが、それが大切だという話があるのは理解したうえで、一見無知に見えそうなやり方で何かを作って提案してみたいものだ。書いていても分かるが相当難しいと思う。

就活生は卒業したので普段の話し言葉でこういうことを喋りたい。テンポを考えずに時間かけてブレブレの根底にある煮詰まった部分を言語化する努力したいと思う。仮に会社がなくなって目の前の上司が評価する立場としていなくなったとき、全然知らない人に向かって、技術や成果の前のもっと根本から、考えながら思いついたドロドロとした気持ちを言う練習をしておきたい。視聴者受けしない数値化できない分かりにくい人間の根底を人に託しておいて、実は見てくれていた人が自分をどこかへ引っ張ってくれることに期待したい。