ズルする

どんな場所でも恐らくやることが変わらなさそうだというのを、メールで送られてきたGW中のやること計画表が教えてくれた。幸か不幸か、家にいようが会社にいようが、結局椅子に座ってパソコンを開くので、体はあんまり変わらない。計画を立てろと言われので立てたら、自分ではちょっと頑張らないと達成できなさそうだが、誰かにこれでは遅いといって怒られそうな計画になった。スケジュールなんてそんなもんだと思って諦める。8時間の「働く」をそのまま「勉強する」に変換できる人は限られる。学ぶ意義は学んだ人間が「いい感じになること」だ。試験によるできた/できないの線引きや教育する側のサイクルから距離を取っていきたい。

あんまり意味がないし勇気もないけど、偉い人にそれはコロナがなくてもやる予定だったん?と聞いてみたい気もする。要はみんな困難の中でいい結果を出すことを諦めていない。ZOOMを使って何か頑張ってる。だがあらゆる頑張ってる人をメディアで見ていると(こういう平和な考えを持てるのはどこかで誰かがオフラインで働いているからなのだが)落ち着いたらでいいですよ、困難なんで諦めましょうと、誰かが言ってくれたっていいのにと心のなかで思ってしまう。

テレビを見たりすると、活動が制限されている中で、それ以前のパフォーマンスを維持したり、なんなら超えてやろうぜと奔走しているように見えるのが嫌で消してしまう。不要不急の頑張りそれ自体は偉いというか、ご苦労という感じなんだけれど、マジで明日生きるか死ぬかレベルの大変な人間はメディアに出てこないので、やはり目に映る人間のドタバタは、いいとか悪いとかとは別に、あんまり得意じゃない。そしてそれは自分の所属している業界、企業にも当てはまってしまって、もうどうしようもない。

というわけで(?)自ら積極的にサボっていくことが求められている。サボるというのは言い換えればやったってことにする、ズルする、端折るということである。Done is bettar than perfect. なんて言葉を見かけた。そんな感じである。他人の発言というのは無責任なもので真に受けると自滅する。まだキャパオーバーではないという自覚が、後でとっておいた余裕まで使って他人の思惑に答え始める。その一歩手前で自分で止まらなければならない。自分の身は自分で守ろうの国で、自分の時間を確保して主体的になることが求められる。物を知らないし知らないから年上には何かを教えられ、それを敬い、かつ生活には余裕を持たせないといけない。とかく若い人間は苦労をする。