20200402

新生活が始まっていろいろドタバタしている。とりあえず次の3,4日を見据えつつ1日を生きていっている。初めてのことが多く生活に慣れていないからか、街を歩く人が一人で生きているということになんとなく偉大さを見いだしたり、今まで見えていた窓の明かり、当たり前のことがいとおしく目の前を過ぎ去っているのを見る。3月と4月であんまり劇的に変わったわけでもないが、いかんせん余裕がないので、自由に趣味に時間を費やして、しっかりと味わうことは、今はちょっと厳しい。まだ始まって2日の「新」生活にこんな評価を下して、自分を何者かにしようとしている。こんな僕をひとは同情をもってとりあえず見守ってくれはするのだろうか。こういうことを「不安」というのだろうか。不安というには余りにも簡単な生活かもしれず、それゆえ難易度が高くなるといわれている数年先を想像する。まるで世界の果ての滝に落っこちる漂流者のようだ。これはいいすぎか?

部屋では前より時計を見ることが多くなって、時計の針がゆっくりと動いていくのを見ている。そうやっているうちにやらなければいけないことがやってきて、とりあえずやってみる。終わったら針は動いていて、時間が経ったのだと思う。そしてそんなにはやく経たなくてもいいじゃないかと、すこし反抗的に思っていた。時計の横にある窓の色合いも朝の白とは違うものになっていて、時間が経っているんだから色だって変わるでしょ、という、当たり前の事実を提示してくる。窓、おまえもか。おまえも僕に、時間が経って、朝が昼になり、僕が終わりの見えない海へこぎ出していることを教えてくれるのか。僕は僕にしか聞こえない鼻息をたてて、パソコンを閉じる。

これでいいのだろうか。いいよ、って言ってくれる人は、それは僕のことなのだが優しい人だ。大抵、少なくとも今に関連される未来のことまで保証はしてくれない。そのいいよ、には何の意味もない。僕が望んでいるものではない。人によっては怒られてしまう今日のこの怠惰な朝のおかげで、どっかの未来の僕はしくじってしまうのか。自分で書いていておかしいと思うのだが、今の自分の考え方が気に入ってるし、変化して欲しくない。とりあえず周りが変わってくれ。ただ周りというのは、自分から見える周りであって、すなわち自分が変化すれば、世界も変わるのでは。というか、何を持って変化と言うんだっけ。あなたの要請に完璧に応えられそうにない僕だ。待ってくれたら、なんか変化するわけでもないのだけれど。

しくじりたくない、おこられたくないという感情からくる鋭い目は、本当はもっと余裕をもったっていい、未来にはなんにも影響を及ぼさない現在をぐるりと見渡して、なんとか脳と胸を安心させようとする。いつだってそうだった。でもその目は、無力だ。常に酷かも知れないけれど、肩の力を抜いて、歯を食いしばらないで。なぜなら未来は未来で別に来るし、反省はいつも他人に見られない、自分のなかで自分の言葉で語られて、他人に過去を指摘されれば、僕の過去を弁護してくれる人はいないし、反論する元気もない。こうした方がいいよ、という模範解答に確実にたどり着く助言が欲しい。でも、では今に肩をすぼめている自分に聞くけど、そもそも模範解答とはなんなのだろう。それもこれを書き終わったら落ち着いて変化している。

他人には他人の人生があってその上で動いてまた違う人に作用する。僕は自分でさえコントロールできないのに、他の人の生き方や習慣をどうやって変えていくなんてのは無理な話だ。人は僕らに僕らが「4月中はやったってことにするよ」と言った。そんな今の中で、自分は「やったのだろうか?」と問うことの面白さよ。自覚せよと僕らにおっしゃった人は、僕が(もしかしたら僕以外の人のあなたも)いかに自分に無自覚で、こんなにも文字にすると時間がかかってしまう面倒な生きものかをまず自覚するべきだが、それでもあなたがそう発言したことの仕方なさというか、しょうがないよねというほんのりとした納得も私の中にはあるんだと、今整理していたら気がついた。別に何にも責めたり批判したり悪く思ったりしているわけではない。ただ生きていこう。これからもその時々で、この背後であまりに自然に動いているパズルピースを忘れてしまって、なんでじゃ、とか、知らんわ、とか思ったりするのだろうけど、そんなときは自分の言葉でこの連鎖を断ち切ることなく翻訳してみよう。今よりゆったりとした生活があると信じて。

巻き添え

 AmazonPrimeでコラテラルという映画を見た。リムジン・サービスの会社を持つ夢に向かって仕事に励むタクシードライバーの主人公マックスが麻薬組織に雇われた殺し屋ヴィンセント(トムクルーズ)を客として乗せてしまい事件に巻き込まれていくのだが...というあらすじの映画である。印象的だったのは映画開始から半分くらいで後部座席のヴィンセントから運転席のマックスへ投げかけられる、親は自分の欠点を子供の中に見いだしてその欠点を咎めるんだよ、というセリフだった。たとえ子が親にどんなに正しいことを言っても親からそれがまさに親の欠点に見えてしまったら子はどうしようもない。むしろ親から言われる注意は代々受け継がれる一族としての特徴として前向きにとらえるべきだったと今更ながら感じてしまった。

ニュースを見ていると行動がどうしようもないことの連続で決定されていくのを思い知らされ自分に出来るのは手洗いうがい外出の自粛しかないと感じる。新生活が始まる今になって望んでいない未来が待ち受けていたらどうしようとか、もっと楽してなんとかなったのかもしれないだとか、求人の広告に出てくるあの会社やこの業界だったら今どんな気分だっただろうとか、どうしようもないことをもう一度考えさせられる。コラテラル(=巻き添え)で生きていく上で大切なのはなぜ今これを行うのかと自問することだ。そうすることでしか自分のポジションは生まれず前にも進めない。

文を集める

・渦の中にいると何も書けない。僕が何かを書きたくなるのは洗濯物を干すタイミングなんだ。そのときになって初めて書けるようになる。

「パンが欲しいならくれてやる/齋藤あきこ」

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 ・決断の最後のコツは「軽やかに、面白そうだと思える方へ」。重圧は判断を鈍らせる。

「デザインの小骨話/山中俊治

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