赤い公園

その夜のWBSの報道によると、コロナの影響で特に女性に関しては顕著らしいのだが、最近自ら命を絶ってしまう人が増えているらしい。人数のオーダーだけ見れば、東京のコロナの感染者と同じである。コロナとは別の理由で多くの人が亡くなっているという事実に驚いた。特に仕事や家族をはじめ、環境ががらりと変わった人に対し、移動の制限が相当堪えていたのかもしれない。自分も今年社会人になり、一人暮らしを始め、かなり環境が変化した。だから、コロナの前にいろいろ考えることがあり、しかも外に出られないような風潮で、確かにしんどい部分も多かった。今年の春から今まで、周りに言っても理解されないだろうと思って黙っていたら、目の前のテレビがテレワークで頑張ろうの風潮を作っていて、見なきゃいいのに何かに置いていかれるような不安を勝手に掻き立てられていた。

その夜の報道を見たとき、2つの意味で驚いた。1つはその人数の多さに、もう1つは不謹慎なのだが、数字を見たときの妙な安心感を覚える自分に、だった。なぜ安心したか。それはその報道が、いつものコロナによる被害(例えば「遊びに行けない」とか「店の経営が傾く」とか)ではなく、その先のマジでしんどい思いをしている人はどこにいるのか、という今までの違和感を払拭するものだったからだ。言い換えれば「人間しんどきゃ生きてられない」いうことを端的に数字で示したからである。

こんな文章を書いたきっかけは、赤い公園というバンドのメンバーの1人が亡くなったのを知ったからでもある。このバンドは自分に馴染みのある立川という町から出てきたバンドで、それもあって赤い公園の深夜ラジオなども聞いていた。時は経ってそのニュースを知り、また聞き始め、今は残業終わりにジャンキーという曲を聞きながら、傷つけてくれてサンキューと口ずさんでいる。この世に絶望するなんて、コロナが無くたって1つも不思議なことじゃない。ファンなんて、アーティストからすれば元からいないようなものだ。しかし、久しぶりに音楽を聴くたびに、それでもどこかで生きていて欲しかったと思う他ない。