メタいところ

昨日ひとつ上の先輩社員の一年間の研修発表があった。当然のことながら業務を経験したことがないために知らない専門用語ばかりで少し不安が残った。上司に成果を報告するのが目的だったので、用語を知っているのが前提の難しい話になるのは当たり前だったのだが、とはいえ新入社員も聞いているのを考慮してもう少し分かりやすく(というか1年前は確実に同じ新入社員だったのだからそこからまだ1年しか経っていないということを考慮して)発表すべきだったのだと思う。と思う、と書いたが仕事をまだしていないからそう思うのであって、仕事をし始めたら成果とか目標とかをすらすらしゃべるようになるのかと思うと一層今のこの直感を忘れたくないと感じる。

先輩社員の中にはこれだけコードを書いてこれだけバグがなくなりましたというのをグラフにしている人もいて、仕事熱心な人がいるんだなということが分かった。仕事には個人の能力を可視化するものがほとんど資格とかしかないから、そういうグラフは誰でも優秀さが分かって便利だ。実際に上司には受けが良かった(ように見えた)。成果報告会は同期が一直線に並んでどれくらい実力あるのか比較しているようにも見てとれたが、実際は会社にはいろんな部門があってそれぞれ技術も求められることも全然違う。例えば月ごとの書いたコード行数やバグ数、修正までにかかった時間で、部門を跨いで新入社員の頑張った頑張ってないを評価しようとすると、ざっくりいうと扱ってるプログラミング言語が新しいほうが書きやすいので、言語によって成績の良し悪しが左右されてしまいフェアじゃない。フェアじゃないというか横並びにするのが普通にナンセンスである。人間と飛行機を比べたらそりゃ飛行機の方が速い。だから性能が高い。実力がある。でもその実験にはあんまり意味がない。なぜなら速さという数値、絶対値だけで比べても実用性がないからである。だから実用性のない比較は必要ないのだが、そもそも比較されるのがあんまり好きじゃないので、比較するのがナンセンスだが、必要とはされるものに目を向けよう、そういう魂胆である。

当然、OSとかスクリプトとかハードウエアとかサーバも恐らくこのエンジニアの評価に影響してくる。とかいうことを考えていると再三降りかかる「エンジニアの実力」という言葉の意味を考えたくもなってくる。つまりその半分は本人の辛抱や努力で賄えるかもしれないが、もう半分はシステムそのものの話を言ってることになる。だから実力とか能力を上げろと言われたら直で機械をいじればいい。じゃあ機械をいじるってなんだよとかを考えるようになる。こういう枠組みそのものを考えるというようなオルタナティブな考えが大切なのではなかろうか。人間の限界を蔑ろにし、そこら辺を混同させて人間のやる気の矛先を向ける方向を間違えてはいけない。

それが言えるなら、逆に言えばどれだけ用語を暗記できているか、どれだけある時間内にあるプログラミング言語でコードを実装できるかで勝負するのではなく、そもそもどのシステムを使うのがいいのかチョイスするというメタいところで勝負するのもアリな気がしてくる。この業界はとかく能力とか実力が主義のように語られ、それらを可視化できる資格がそのひとつの指標になるのだが、それが大切だという話があるのは理解したうえで、一見無知に見えそうなやり方で何かを作って提案してみたいものだ。書いていても分かるが相当難しいと思う。

就活生は卒業したので普段の話し言葉でこういうことを喋りたい。テンポを考えずに時間かけてブレブレの根底にある煮詰まった部分を言語化する努力したいと思う。仮に会社がなくなって目の前の上司が評価する立場としていなくなったとき、全然知らない人に向かって、技術や成果の前のもっと根本から、考えながら思いついたドロドロとした気持ちを言う練習をしておきたい。視聴者受けしない数値化できない分かりにくい人間の根底を人に託しておいて、実は見てくれていた人が自分をどこかへ引っ張ってくれることに期待したい。